すじこの毎日インドア

テレビや映画、マンガや小説の感想など

『母性』について考えてみた

 

こんにちは!すじこです。

 

湊かなえさんの『母性』を読んでみた。湊かなえさんの本はやっぱり外れないよな〜。面白くて1日で読み終えた。

 

 

母親と娘の話してることが矛盾していて、どちらが事実なのかわからない。私は現在子どもがいないので、娘の方に感情移入してしまう。こんなに母のことが大好きで、守ってあげたいと強く思っているのに伝わらない。母親は娘が自分の思い描く娘にならなくて虐待。依存していた自分の母親(おばあちゃん)が目の前で舌を噛んで自殺して、義実家で酷い仕打ちを受けるという悲惨な環境だから?

そう考えると多少は仕方がないのかなとも思えるけど、悲惨な環境になる以前の満ち足りた環境である時も娘を自分の理想の娘に育て上げようとする。良い母親とも捉えられるが、あくまでも素晴らしい娘を育てている自分が主役なのだ。それを象徴するシーンがいくつかある。母親は娘の合唱発見会用の靴下を買い忘れる。発表会当日、大きなフリルの襟がついたブラウスに地味な足元という娘の姿を見て、周りから足元にまで気が回らない母親だと思われたらどうしようと不安になるシーンは特に気になった。その場にそぐわない格好やみすぼらしい格好、ボサボサの頭だったら母親の気持ちも分かるし、周りからしたらその子の家庭環境も気になるだろう。地味な足元というだけで、娘の発表会の姿より自分の心配しているのかよってね。

 

散々母親の文句を言っているが、私も子どもを産んだらこの母親と同じようになるのではないかという不安も実はあるのだ。だって誰にでも家庭の理想像ってあるはず。男の子だったら野球をやらせて、女の子だったら可愛いワンピースを着させてあげたい♡みたいな。その理想と真逆に子どもが育ったらどうなるのか。理想を押しつけて子どもの自我を殺すのか。自分は良い母親になれるという根拠のない自信があるから、気づかないうちに毒親になってしまうのではないか。

こればっかりは、子どもがいないので分からない。そしてやはり私は理想の娘だったのかな?と娘の気持ちで考えてしまう。

 

 

母性を持つ女と持たない女。

母性って言葉、これからの社会ではいらない言葉かも。この母性という言葉で追い詰められている人がいるんじゃないかと思う。もう「母性」をやめて、「親心」だけで良くない?女だから母性があって当たり前、女だから子どもを育てて当たり前。当たり前じゃないんだよ。父性って言葉は全然聞かないのにね。これ以上書くと、母性から離れていくのでやめる。

 

 

湊かなえさんの『母性』は、もし子どもを産んだらもう一回読み直したい。今の感想と違った感想が出てくるだろうな。

 

最後まで読んでくださりありがとうございます。